本町の山車

本町の町紋

雪輪紋

本町の町紋は「雪輪紋」(ゆきわもん)平安時代から使われていた吉祥紋。江戸時代後期には、庶民の間でも広く使われるようになりました。雪の結晶の輪郭を柔らかな曲線で結んだ円形の模様です。雪がたくさん降った年は、春の豊富な雪解け水が野山を充分に潤し、秋には豊かな実りを与えてくれます。そのため、雪は古来より豊作をもたらす「五穀の精」といわれており、その年が豊作になる吉祥の象徴とされていました。日本人は儚いものに風情と情愛を感じる心を持っており、桜や雪が古来より日本人の豊かな感性を育んで来ました。また、雪輪は自然界で最強の形である六角形の変形でありハチの巣、亀の甲羅、人間のDNAも六角形です。また、円形のところどころ欠けて輪郭の模様を作っていることから、まだ完璧ではない未熟な自分を表す謙遜のメッセージが込められています

雪輪紋

法被について

梶取りが着用するこの法被は、明治29年の山車新調に合わせて名古屋より購入した格子柄の「大弁慶」と呼ばれる梶取り用の法被です。背中に神功皇后車の「神」、襟には雪輪紋と本町の文字が入っており、現在も明治時代に製作された法被が保存されています。

本町の山車

神功皇后車

神功皇后車
じんぐうこうごうしゃ

本町の山車は明治29年(1896年)に名古屋の山車職人、森棟九郎によって製作され、最上部に飾られる大将人形によって「神功皇后車」の名称で親しまれています。人形はほかに「武内宿禰」、男装の童女「前立人形」の三体で構成されています。「前立人形」は山車が巡行中は絶えずお囃子に合わせ時にはゆっくりと、時には激しく手足を上げ、首を振り、体を左右に動かし華やかに景気づけをします。時折舌を出し、反り目も可能です。
山車は総桧造(そうひのきつくり)で二層唐破風屋形(にそうからはふやかた)外四輪を輪がけで覆い、天井は金箔押し合天井、庇、柱、勾欄(こうらん)は黒漆塗りに飾り金具を付け上山(うわやま)人形舞台の勾欄の中にある彫刻も前面の波は川波を表現するため蜻蛉(とんぼ)を波間に配し、両側面と後面には緑の地に草花を配し川堤を表現し、水引幕(みずひきまく)も急流の岩に砕け波打つ川面(かわも)に鮎の踊る図となっています。大幕の金具類も本町の「雪輪」が配置されております。水引幕の刺繍は五雲斎(ごうんさい)の雅号を持つ刺繍職人の手によるものです。

本町のからくり人形

日本の江戸時代中期の18世紀、日本では「からくり人形」と呼ばれる自動人形が登場してきた。同じ頃、ヨーロッパでは「オ—トマタ」と呼ばれる自動人形が産声をあげている。何の交流がなくても、同じような時代に、同じような文化を開発し、生活に彩りをそえているのだから不思議といえば不思議な現象である。日本の場合、人形の頭を作る時、能面の技法を取り入れている。従って無表情な能面が舞台の上で、「喜怒哀楽」の感情をかすかな動きの中で様々に表現するように、からくり人形は抽象化された動きの中で同じだが、日本のからくりは、かえって見る人々の感情をゆさぶるようである。(からくり人形作家「高梨生馬氏のことば」より抜粋)

本町のからくり人形は三体で構成されており、采振り人形(前立童女)は下段に配置され山車巡行中お囃子に合わせて踊ります。そして上段に配置される大将人形(神功皇后)は戦果を占ったとされる鮎釣りの演技を武内宿禰とともに行います。これらは明治29年に昼山車の新調と共に、六代目玉屋庄兵衛の手により製作されました。

前立童女(采振り)人形

前立童女(采振り)人形
まえだちどうじょ(さいふり)にんぎょう

采振り人形は枠姿(かみしもすがた)の男装の童女で扇子を持ち、頭は白胡粉、艶出し、描き眉、目、口に細工があり、返り目(かえりめ)とともに舌を出す人形で他に余り例を見ない純和風の前立人形です。

神功皇后人形
じんぐうこうごうにんぎょう

神功皇后の頭は白色の胡粉(ごふん)艶出し(つやだし)、眼はギヤマン(ガラス)、描き眉、頭髪はしゃぐまと言ってヤクの尾の毛(ヤクは北インド、チベットなど高地に住むウシ科の大型の動物)、装束は巫女姿(みこすがた)白衣緋袴(びゃくいひはかま)に水干(すいかん)を着用し勾玉(まがたま)の首飾りをつけています。

神功皇后人形
武内宿禰人形

武内宿禰人形
たけのうちすくねにんぎょう

武内宿禰の頭は黄土色の胡粉、艶出し、眼はギヤマン、眉ひげは植毛、頭髪はしゃぐま、装束は金襴も鎧直垂(よろいひたたれ)姿です。

祭礼の土曜日、日曜日には町内の数ヶ所で山車を停めて披露し三町の山車が土曜日は新町の氏神様である八幡社、日曜日は本町、萱町の氏神様である神明社の神前に勢ぞろいしたところで奉納を行い舞納めとなります。

本町のお囃子

本町のお囃子は明治29年の昼山車新調に合わせ、名古屋の山車囃子を導入したものです。
古老の言い伝えによると、名古屋から田原にお囃子の師匠を招き當行寺で約一カ月、猛練習を積み覚えたということです。
明治29年の福沢三三氏の記録「山車新調費明細取調」によると、「七間町囃子が道行囃子、人形を踊らす囃子なり」とあり、名古屋市七間町のお囃子が導入されたことがうかがえます。
囃子方は横笛・大太鼓・小太鼓・鼓(つづみ)で構成され13名ほどで演奏されます。笛以外は合いの手も入ります。

三町山車揃え(三河田原駅前)
三町山車揃え(三河田原駅前)
山車での演奏風景
山車での演奏風景

お囃子演奏曲

◆道行き

◇四能(通称「道行」) ◇獅子 ◇三番叟(さんばそう)◇五條橋 ◇下り羽 ◇田原ばやし
巡行中に演奏され、四能・獅子は篠笛を使い、山車の出発時や長い直線などで演奏されます。三番叟は能管を使い、曲がり角の近くで車切りにつながる場面などで演奏されます。五條橋は篠笛を使用し通称「七間町(しちけんちょう)」と呼ばれ神社からの帰りや夜山車の囃子として使われます。なお、下り羽と田原ばやしは伝承が途絶えています。

◇車切り
能管を使い山車が方向転換をする際に演奏されます。通常、三番叟〜車切り〜三番叟という流れで演奏し、角を曲がるときに合わせてお囃子のテンポを上げてゆきます。

◆人形

三部構成からなる人形の舞で、序盤(初出羽)〜中盤(神舞)〜終盤(大辺志見)と徐々に盛り上がり大きな鮎が釣れるさまを演じます。笛は能管を使用します。

◇初出羽(はつでは)
神功皇后がゆっくりと野原の風景を眺めながら河原へ向かい、釣り場所を定めます。

◇神舞(かみまい)
神功皇后と武内宿禰が手をかざして川面を眺め、竿を振り込みます。

◇大辺志見(おべしみ)
神功皇后が勢いよく鮎を釣り上げ武内宿禰と小躍りして喜び、前後・左右の見物人に鮎を見せて廻り、最後に竿を納めて終わります。