新町の町紋
抜け九曜紋
新町の町紋は「抜け九曜紋」(通称金平糖)です。祭礼時に法被や提灯、会所のマークなどに使用されています。
この「抜け九曜紋」については、田原藩主であった戸田家の紋章に由来するということが古くから言い伝えられています。戸田氏が田原八幡社に深く関わりがあったところからみても、この由来は最も信憑性が高く、大いに考えられるものです。いつから、またどのような経過を経て使用されるようになったか、また誰がそれを決めたかなどについては、依然として不明ですが、この「抜け九曜紋」が旧田原藩主戸田氏との関係によるものであるという言い伝えは最も説得性をもつものです。
一般的に現在使用されている「抜け九曜紋」にはさまざまな種類のものがあって、どれが新町八幡社の正式なものかは、よくわかりませんでした。実際に各祭り組の法被に記されている「抜け九曜紋」は同じではありません。ですが、平成15年に山車を修復した際、今後は形を統一しようということで、さまざまな資料について研究し、いくつかの案を作成検討し、熱い議論も交わされましたが、決定的な根拠も見つからず、最終的には新町に現存する「抜け九曜紋」の写った最古の写真と思われる昭和5年(1926年)に撮影された消防団の纏(まとい)の標の形をもって、新町の町紋「抜け九曜紋」とすることに決定しました。
なお、これは決定以降、町紋の基準の規格としていくということで、すでに使われている法被や提灯などには少し違う抜け九曜紋が使用されているものもあります。
昨今では、各祭り組で自由にデザインした鯉ロシャツなどを制作しています。その際に紋を使用する場合には定められた紋を使用しています。


法被について
新町山車保存会は平成26年に設立され、山車保存会の法被を平成30年に新調することになりました。次世代にも引き継がれる法被で、抜け九曜紋をデザインした模様が腰回りと袖の折り返しに入っています。
また、祭り当日の貸出し用としても、数着用意してあります。
新町の山車

應神天皇車
おうじんてんのうしゃ
この山車は、昭和3年(1928年)に新町の町内会が名古屋の中区の遊郭のあった町(常盤町)から購入したものです。名古屋の天王祭で曳かれていた「陵王車(りょうおうしゃ)」とよばれた、階段のある山車であった可能性が高い山車です。
三町の山車のうち、階段があるのは、この應神天皇車のみです。
前立の唐子人形は、六代目玉屋庄兵衛の弟子内藤金次郎作で、笑顔をたたえたいかにも童顔の唐子が両手に一本ずつの采配を持って振り、脚を上げながら舞う姿は、実にかわいらしく品があります。
階段を上がった上山の前で、白に金色の鮮やかな刺繍の入った表着(うわぎ)を着て、緋色に様々な花をちりばめた錦の唐衣を羽織り、同じ色の袴を着けてしずかに下段の唐子を見下ろすように立つ女性像は、天皇のお側に仕える女官です。また、その女官の後ろにりりしく威厳に充ちた貌(かお)で立っているのが天皇です。
なお、天皇の衣装は、錦の縫腋(ほうえき)の束帯(そくたい)姿です。
新町のからくり人形
からくり人形は、大別すると「山車からくり」と「座敷からくり」の二種類がある。何れも自動人形である点では、二百年の昔に完成されて世界でも類のない『木製』のロボットと言える。現在、山車からくりは、江戸時代に尾張藩の領地であった愛知・岐阜両県で集中保存されている。山車の数にして二百余台、人形の数は六百体を超える。(からくり人形作家「高梨生馬氏のことば」より抜粋)

唐子の采振り人形
からこのさいふりにんぎょう
應神天皇車の前棚に設置されており、巡行時をはじめ八幡社に上った際などに、お囃子にあわせて、首・両手・両足を動かし、新町町民の安寧を願うがごとく、優しい表情でかわいらしい踊りを披露します。
作者は六代目玉屋庄兵衛の弟子内藤金次郎作と伝えられています。
唐子は、頭の上部の髪をニカ所で結び、それ以外を剃り、唐風の衣装をまとった童子で、中国唐王朝時代に子どもたちが遊んでいる様子を描いた絵にかかれた童子のことという説と、江戸時代の朝鮮通信使に同行し、時には一行の旅情を慰め、時には異国の人々のために踊りを披露した童子と
いう説があります。
唐子は、縁起物として食器類や絵の題材となるだけでなく、各地で唐子踊りとして、また山車のからくり人形や屋台彫刻としても多く取り入れられています。
應神天皇人形
おうじんてんのうにんぎょう
應神天皇車の上棚に設置されており、可動部分のない大将人形です。
衣装は、錦の縫腋(ほうえき)の束帯姿で、胸には笏(しゃく)を斜めに挟み、腰には平緒(ひらお)と呼ばれる紐を締め、その先は前に垂らしています。そして左の腰には金の太刀、浅沓(あさぐつ)と呼ばれる先の反り上がった沓を履いています。頭に被っているのは冠で、古代の朝服の際の頭巾状の僕頭(ぽくとう)の変化したものです。
八幡社の祭神でもある應神天皇は、仲哀天皇の第四皇子で、母は神功皇后です。筑紫で生まれ、神功皇后没後の270年1月1日に第15代天皇となったと伝えられています。


女官人形
にょかんにんぎょう
應神天皇車の上棚前部に設置されており、首と台座が左右に移動できるからくり人形で、前棚の唐子をやさしい眼差しでながめています。
衣装は、白に金色の鮮やかな刺繍の入った上着を着て、金色に様々な花をちりばめた錦の唐衣をはおり、同じ色の袴を着けています。
女官とは、宮廷に仕える女性の役人であり、後部に設置されている應神天皇をお守りしています。
新町のお囃子
新町のお囃子は昭和3年に昼山車を購入とともに、名古屋より師匠(誰なのかは不明)を呼んで、新町の青年がお囃子を習い覚えたものが代々受け継がれ、まもなく百年を迎えようとしています。
時代の流れとともに青年たちが少なくなり、お囃子の継承が難しくなってきたため、昭和56年に「新町お囃子保存会」を結成。現在の名称は「新町お囃子会」へと変わり、メンバーは、老若男女を問わず幅広く25名ほどで、親子や夫婦もいて、和気あいあいとした雰囲気が持ち味です。
祭典当日は練習とは相違った真剣な振る舞いで演奏をしています。
祭典以外には、大晦日に八幡社拝殿にてお囃子の奉納演奏も行っています。

お囃子は、山車を曳く大勢の人々の祭り気分を高めたり、梶方の士気を鼓舞したり、からくり人形の所作をリードするための重要な役目をもっています。大太鼓、小太鼓、大皮、鼓、笛(能管、篠笛)の五つの楽器を使って演奏します。

お囃子演奏曲
◆道行
昼山車の巡行中に平坦な道を進むに時に奏でるゆっくりとした曲です。笛は能管を使用します。
◆車切
曲り角等にさしかかった時に演奏するテンポの良い曲で、曲り角の頂点に向けて演奏を早くし、舵取りの士気を鼓舞させます。笛は能管を使用します。
◆宮囃子
昼山車が神社に到着した時に神社へ奉納するゆったりとした公的な演奏曲です。笛は篠笛を使用します。
◆余興曲
六法、菊重ね、新囃子の三曲があります。
巡行中の休憩時に演奏をしていましたが、今は三町山車揃いの時にメドレー曲として、道行、車切、六法、菊重ねをミックスして一つの曲としお披露目しています。笛は能管、篠笛を持ち替えて演奏します。


