萱町の町紋
分銅紋
萱町の町紋は「分銅」をモチーフにしています。分銅はもともと蚕の繭をかたどったものといわれていますが、繭から糸を引き出すように租税を課しつづけることを「繭糸」(けんし)というように、繭は、絹糸そのものも大変貴重なものであったことから、税や金銭を象徴するものになったと思われます。それを裏付けるように、江戸幕府が有事に備えて備蓄した金塊(法馬金)も分銅の形をしていたようです。現代の銀行の起源は江戸時代の両替商にありますが、私たちが日常使っている計数貨幣(けいすうかへい)とは全く異なり、その重量が価値を決める丁銀などの秤量貨幣(ひょうりょうかへい)は、両替する際に天秤と分銅を用いる必要があったため、天秤と分銅は両替商を象徴する道具とされ、現在でも地図上で銀行を示すマークは分銅の形をしています。
残念ながら、分銅を萱町の町紋に定めた経緯を示す資料は残っていないようですが、新町・本町よりもお城から遠く、武家屋敷も無い萱町一帯には商家が多く存在したことから、金銭の象徴としての、あるいは商取引での計量の象徴としての「分銅」が萱町の町紋になったと考えてもおかしくはないでしょう。


法被について
襟元に記された文字のとおり、「萱町昼山車人形係」のみ着用を許される法被です。
背と袖には町紋の分銅紋、裾には昼山車の飾り幕と同様の波千鳥の図柄が配われています。
萱町の山車

総代車
そうだいしゃ
萱町の総代車は、明治13年(1880年)に名古屋の山車職人森棟九郎によって新調されたものです。これ以前は、出陣姿の日本武尊の人形と立烏帽子黒衣水干衣姿の総代人形をかつぎ物とする舁き山でしたが、山車の新調により、上山に日本武尊、前棚に総代人形を据えて曳山となりました。その後、明治23年(1890年)には白衣紅袴の巫女人形を加え、総代人形と共に前棚に据えて現在の姿となりました。
名古屋型二層唐破風屋形外四輪という独特の造りに檜・漆·金箔・幕を贅沢にあしらった、推定重量3トンから4トンにもなろうかという豪壮な車体であり、大幕正面には町紋である「分銅」を、側面に千鳥と松葉を、そして後面に「萱」の一字が刺繍により描かれています。宮大工の方からは、いま新調すれば一億円は下らないだろう、との話も聞いています。
毎年9月の神明社祭典では、神の依り代として、お囃子の演奏とともに町内の老若男女により萱町から神明社に曳き上り、参拝後には再び萱町に曳き下る「昼山車曳行」が、他の余興行事とは一線を画す最も神聖な祭典行事として斎行されています。
新町のからくり人形

総代人形
そうだいにんぎょう
現在の人形は二代目。立烏帽子に黒衣水干衣を纏い、御幣を振りながら、白目をむき赤く長い舌をべろりと伸ばします。初代の人形は、かつて祭礼の芸能化に伴い町外から集まった見世物興行師たちが残したものの一つとも言われ、明治以前には日本武尊の人形と共に舁き山の上に据えられていたものを、山車新調の後は、車の前棚に据えていました。初代人形は、作者・製作年代こそ不明ですが、人形師七代目玉屋庄兵衛氏がその出来のすばらしさを認め、既に傷みのあった初代に替えて二代目の人形を製作し、それが現在「おべろべえ」としてお務めを果しています。因みに、初代総代人形は、現在「田原まつり会館」に展示・保存されています。
日本武尊人形
やまとたけるにんぎょう
日本武尊は、あまりにも有名な武人として舁き山で担ぐに相応しい存在であったと思われます。明治以前には総代人形と共に舁き山の上に据えられていたものを、山車新調の後は、車の上山に飾っています。この人形は、箱書きによれば慶応2年(1866年)美濃屋三左衛門の作とのことで、いまも出陣姿で陣頭指揮を取り、まつりの士気を高めています。人形の動作としては唯一右手だけが挙がり、萱町ではこれが山車出発の合図とされています。


巫女人形
みこにんぎょう
総代人形のとなりで、白衣紅袴を纏い、手に持った鈴を嗚らしながら舞っているのが、総代人形に遅れること10年で車の前棚に据えられた巫女人形です。総代人形とは対照的な紅白の衣装を纏い、にこやかな笑顔で、手首を器用に返して鈴の音を響かせます。この人形は、明治23年(1890年)に大丸名古屋店にて購入されたものとのことです。
萱町のお囃子
大太鼓・小太鼓・大皮・鼓・笛・能管などの楽器が用いられます。
囃子方は、小学生から社会人まで総勢20名ほどで、練習は8月のお盆過ぎの毎週火曜から金曜の晩に、田原まつり会館にて1時間半ほど行われます。
山車の巡行になくてはならないお囃子ですが、コロナ以降新たな加入希望者が無く、若手の育成が課題となっています。


お囃子演奏曲
◆夜神楽
田原神明社に上る道行として演奏される難度の高い曲です。城主入りの「中の舞」という楽曲から取られたとのこと。荘重な調べに乗って、からくり人形も厳かに舞います。
◆神明囃子
田原神明社に曳き上った時に、神明社でのみ演奏される曲です。古く「尚崎囃子」がルーツとも。神明社で』か聴けない貴重な曲です。
◆神田丸
田原神明社から下る道行として涼奏される曲です。合いの囃子であり、曲のルーツは不詳とのこと。
◆通り神楽
合間、巡行時の道行に使われる曲です。
こちらもルーツは不詳です。
◆車切り
昼山車の方向転換の時に演奏される曲です。
松王・梅王・桜丸の「車止」なる歌舞伎から取り入れた曲と言われています。激しく急テンポのリズムで梶取と気合を合わせます。からくり人形も激しく舞います。


