神の依り代である3台の山車は、三町それぞれの町内を人々の健康や幸せ、家内安全、五穀豊穣を願って曳行し、正午頃に三町の山車揃えがあり、その後、八幡社祭典日の土曜日には三台揃って八幡杜へ、神明社祭典日の日曜日には神明社へ曳き上がります。
祭り囃子とともに曳かれる光景は、日常の空気を一変し、豪華絢爛、厳かで山車祭り文化の素晴らしさを伝えます。
「お祭り」この言葉は田原で生まれ育った人の中では特別な響きを持っています。9月を迎えるころになるとお祭りの準備も佳境を迎え、各町の会館、社務所は祭り本番に備えた準備も整い、子供たちはそわそわして学校どころではありません。子供のみならず大人たちもまた同様です。
そしていよいよお祭りの日が来ると鐘の音やお神輿の掛け声が聞こえ花火の音、そして山車のお囃子の音色に町中が彩られます。田原の人にとってお祭りは限りなく郷愁を誘う、なくてはならない最大の年中行事です。
思えば田原まつりは他に類を見ない実にユニークな祭りではないでしょうか。祭り行事は昼山車のみならず、夜山車、煙火(打ち揚げ花火、大筒.手筒、仕掛け花火)、神輿、道囃子、獅子舞、神楽、大名行列などこれほど多彩な行事に彩られた祭りは近隣では聞いたことがありません。そしてこれらの祭り行事は特定の人だけではなく老若男女を問わず、様々な人が関わり楽しむことができる幅広さを持っています。中でも昼山車は、明治初期より約150年にわたって田原まつりの中心的役割を果たしてきました。田原まつりの象徴、あるいは町民の心の拠り所と言っても過言ではありません。
この貴董な山車を継承・発展させていくことは、古の昔に山車を作りそれを連綿と引き継いできた偉大な先人たちの思いを伝えることでもあり、今を生きる我々の使命でもあります。
一方で少子高齢化の進展など後継者の確保・育成が近年難しくなってきていることも確かです。これは山車囃子の伝承について研究している名古屋のある方から聞いた話ですが、お囃子などの山車文化は「あっという間になくなってしまうほど脆弱な文化」ということです。実際名古屋では戦災もあり、後継者がいなくなり伝承が途絶えてしまったお囃子などが多数あり、その方の言葉は大変実感のこもる重いものでした。幸い田原では戦争で途絶えることなく明治期から脈々と伝わってきましたが、近年のわが町の担い手不足を考えると、危機感を抱かざるをえません。
このたび「田原まつり三町山車保存会」のホームページを開設するにあたり、多くの方に田原の山車について知っていただけるきっかけとなれば、これ以上の喜びはありません。昭和43年には明治100年記念として三町のお囃子の録音を田原町役場(現田原市役所)が行っていますが、そのときの言葉を借りて結びに代えさせていただきます。
三町の山車とお囃子は明治初期より今も昔と変わらぬ調子で保存され、次代へ引き継がれているものであります。
この姿と音色が絶えることなく郷土の遺産として残り、未来永劫引き継がれていくことを念願いたします。





役員紹介令和8年度
| 会 長 | 白井 秀行 |
|---|---|
| 副会長 | 加子 康典 上藤 敦史 |
| 庶 務 | 廣中 清介 岡本 良 白井 徹也 森下 錬 大橋 充典 |
| 会 計 | 長嶋 由彦 |
| 書 記 | 鈴木 鋭一 河合 浩朗 河合 史行 |
| 監 査 | 田中 伸近 小川 和利 |
沿 革
田原まつり三町山車保存会発足


